新幸福論
昨日お客さんと生きるって切ないっすよね
と意気投合した
完売したらしいですね!
おめでとうございます!
と言われた後にさほど嬉しそうな表情をしなかったのが発端だった
きっと他人から見ればなんて羨ましいとなるはずなのに
本人はどこか自分の事に思えず嬉しさを噛み締めることができない
そうなんすよ
自分幸せを感じたことがないんですよ
そう言うとそのお客さんは少し理解してくれたようで
不安が大きすぎると幸せって飲み込まれちゃいますよねと言った
自分は小さい頃から幸せがなんなのかよく考えていた
美味しいものを食べたとき
欲しかったものを手に入れたとき
友人とのくだらない話で笑ってるとき
小さな幸せは日々点在しているんだけど決して持続はしない
そのほかの時の感情が不安で埋め尽くされていたら
そりゃ1日の9割は幸せではない
天秤ばかりで計るまでもない
この何やらよくわからない不安とやらを取り除かないと
幸せを感じる時間が少なすぎるのだ
全体の幸せを多くする事はきっと難しい
不安を取り除かなければいけないのだ
小さな頃から考えていた自分なりの幸せ論の答えを導き出した
そして辿り着き行き着いた答えが
生きるのは切ない
自分にとっての生きる事は幸せを感じることではなく
切なさを噛み締める事なんじゃないか
あまりにも不条理が多い現世を生きていくにはそちらの方がいいはずだ
切ないは好きだ
作品が切ないのもきっとそのせいだ
と言う事は作品はやはり自分の分身だ
切ないに誇りを持って生きていこうと思う
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